2012年10月10日
世界遺産菅沼合掌造り集落
山間の豊かな自然に囲まれた中に佇む
世界遺産菅沼合掌造り集落
富山県南砺市菅沼
マップコード 549 556 084
集落には現在12棟の家屋があり、そのうち9棟が合掌造り家屋です。これらの
合掌造り家屋は江戸時代末期(19世紀前期から中期)に造られたものが2棟、
明治時代に建てられたものが6棟、最も新しいものは大正14年(1925)に建て
られていて、このころまで合掌造りの家が建築されていたことがわかります。
五箇山は江戸時代、和紙や養蚕、鉄砲の火薬の原料である「塩硝(えんしょう)」
が主な生産品でした。菅沼集落でもそれらを生産するかたわら、わずかな土地を
利用した稲作と、なぎ畑と呼ばれる焼き畑農業で生活が行われていました。塩硝
の生産は、明治になって加賀藩の庇護がなくなったことや安価な輸入品のために
衰退してしまいました。
菅沼は小さいながらも日本を代表する山村集落として、昔からの景観を変えるこ
となく、訪れる人々に歴史を語り続けています。 パンフレットより
五箇山合掌の里 2012年9月16日撮影

世界遺産菅沼合掌造り集落
富山県南砺市菅沼
マップコード 549 556 084
集落には現在12棟の家屋があり、そのうち9棟が合掌造り家屋です。これらの
合掌造り家屋は江戸時代末期(19世紀前期から中期)に造られたものが2棟、
明治時代に建てられたものが6棟、最も新しいものは大正14年(1925)に建て
られていて、このころまで合掌造りの家が建築されていたことがわかります。
五箇山は江戸時代、和紙や養蚕、鉄砲の火薬の原料である「塩硝(えんしょう)」
が主な生産品でした。菅沼集落でもそれらを生産するかたわら、わずかな土地を
利用した稲作と、なぎ畑と呼ばれる焼き畑農業で生活が行われていました。塩硝
の生産は、明治になって加賀藩の庇護がなくなったことや安価な輸入品のために
衰退してしまいました。
菅沼は小さいながらも日本を代表する山村集落として、昔からの景観を変えるこ
となく、訪れる人々に歴史を語り続けています。 パンフレットより
五箇山合掌の里 2012年9月16日撮影

山間の豊かな自然に囲まれた中に佇む
世界遺産菅沼合掌造り集落
五箇山合掌の里
菅沼集落より南へ約500mほどの所にある 駐車場に上がるトンネルの中の
エレベーター乗り場を通過して5分ほど歩くと合掌の郷である

五箇山合掌の里

五箇山合掌の里

五箇山合掌の里

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国道の展望台?から菅沼集落を望む

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Posted by jichan2 at 22:01
│飛騨路の旅